世界三大幸福論!ラッセル幸福論から学ぶ楽しく生きる方法

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目的

どうも社畜です。
今回は全国の社畜へ、少しでもポジティブに働けたらと思い幸福論第2弾となります。
世界三大幸福論のラッセル幸福論から現代社会でどのように不幸から抜けられるのか、今より豊かな人生をどのようにしたら過ごせるのかを社畜なりに書こうと思います。

バートランド・ラッセルとは

まずはラッセルがどのような人物なのかを紹介します。
20世紀最高の知性と呼ばれる程、輝かしい経歴を持った人物となります。
世界的数学者、哲学者でノーベル受賞者でもあります。過去の経歴だけを見ると輝かしい人物と思えるが、ラッセル自身は過去の自分を「あわれな人間の見本」と語っています。そんなラッセルを絶望の淵から救ったのは、数学に対する興味、情熱ただそれだけでした。
長い人生を送る中で、不幸という泥沼から抜け出す事を学んでいったのです。
現代社会で心が晴れない方は、これから紹介するラッセルが導いた幸福論に少しでも参考にして生きてみるのもいいかもしれません。

ラッセルの生涯
  • 1872年~
    1890年
    貴族によくみられるように正規の初等・中等教育を受けずに、1890年、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学。その後しばらくケンブリッジ大学で教鞭をとる。

  • 1916年
    平和運動、婦人解放運動に熱中
  • 1931年
    父の後を継いだ兄フランシスが死去、ラッセル伯位を継承。
  • 1955年
    7月9日核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアルベルト・アインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表
  • 1970年
    97歳で死去

詳細

貴族家系に生まれたラッセルは、一見すると幸せな勝ち組に家系に生まれたと思われがちでした。ただ、幼くして両親を失っており、彼を育てたのは祖母であり、その祖母は最凶だったのです。彼が貴族の家系にふさわしいようにピューリタン的教育をしていたと言われています。
勤勉な労働と質素な生活を強制されていました。ラッセルいわく、毎日水風呂に入らされたり、夕方になるまでは椅子に座ってはいけないなど毎日が罰ゲームでした。その結果、ラッセル少年は思春期から自殺願望が芽生えていたと言われています。

祖母の教育方針のもと、公立学校は行かず、基本的に家庭教師に通い教育を学んでいました。
その結果、大学は名門ケンブリッジ大学へ進学をしました。大学では数学と哲学を主に学んでいたこともあり、ラッセル自身は合理的人物であると言われています。
そんな合理的主義なラッセルが「人間は全然合理的ではないぞ」と疑問を抱いた事件が起きます。
それは、第一次世界大戦です。
イギリス国民が戦争に参加することに対して大喜びをしているのを目の当たりにする中、自身の価値観とのギャップに悩まされました。
そんな姿を見て、人間は合理的人間ではない事に気づき、自分にできることがあると希望を抱き、
政治の世界へ行きます。

そして1930年、還暦に近づくころに「ラッセル幸福論」を出版。


そんな彼が長い人生で導いた幸福論を読んでいきましょう

不幸の原因

不幸になってしまう最大の原因は「自己没頭」です。
自分ばかりに矢印が向いてしまうと、人はどうしても不幸になってしまう。
自己没頭には3種類があります。

自己没頭タイプ1 「罪びと」

いわゆる、罪を犯した罪人のことは指しているのではなく、「なぜ、自分にはできないんだ」など
自分を追い込んでしまっている人の事を指しています。
理想像と現状のギャップに悩まされ、苦しんでいる人たちです。
幼少期から親に「こうしなさい」「これをやりたいのにできない」と教育をされている人は、
大人になって拘束から解放をされたと思ってはいますが、心の底では禁忌にずっと悩まされていると言われています。
そんな人が救われるためには、刷り込まれた信条と愛情の圧政から自分を解放しなさいとラッセルは唱えています。

自己没頭タイプ2 「ナルシスト」

自分の事を賛美し、周囲からの賞賛を求めている人の事を指しています。
勿論、賞賛が必ずしも悪いわけではありませんが、それを求めすぎている人は、幸せになることはできません。
突き進んだ末路として、虚栄心は無気力と退屈をもたらすと唱えております。そうならないためには、本当に好きなことをやり遂げ、「自尊心」を育てなければなりません。

自己没頭タイプ3 「誇大妄想狂」

権力を求め、愛されるよりも恐れられる人の事を指してします。
度が過ぎた権力の渇望は人生を不幸にすると唱えています。
人間らしさのことごとくを犠牲にして、究極の何かを開発をしたとして究極の幸福にはなれないだろう。

ラッセルは不幸な人の共通点は、「子供時代に正常な満足の経験を奪われた」ことをもっているかどうかだと唱えています。今紹介した自己没頭というのは、ラッセル自身が経験したほかならないものとなります。
勉強しないといい大学にはいれない、いい大学に入れないといい企業に就職できない、そのために
〇〇、××はしてはいけないと親に管理をされ、人間らしい欲求に蓋をされることで、「〇〇をやらないとほめられない」、「××をしないと幸せになれない」などと刷り込まるのです。
その結果、1種類のみを追求する自己没頭人間が完成するのです。

現代社会の不幸の原因

ラッセルは不幸の原因をさらに深堀をしていました。
その中で、現代社会で親和性が高い3点をピックアップをしました。

競走

人生の主要目的を競争とするのは、あまりに冷酷で、あまりに執拗で、あまりに肩肘が張った生き様です。成功すること、お金を手にすること、ある一点を超えてしまえば、それ以上幸せになる事は出来ないのです。成功というのは幸福の一つでしかないです。
それを得る為に自分の健康、家族、それ以外の全てを犠牲としたならば、その代償はあまりに大きすぎるとラッセルは言っています。競走は絶えず加速するものであり、それに捉われていたらきりがないです。そこから脱却する為にはバランスの取れた人生の理想の中に、健全で静かな楽しみの果たす役割を認める必要があります。

妬み

ねたみは人間の特徴の中で、最も不幸なものです。
例えば、社畜が何不自由ない月給をもらっているとします。しかし、社畜より優秀ではない人が二倍の月給を稼いでいるという情報を耳にしたとします。この時、自身の給料に満足するべきではありますが、社畜が妬み深い人間であるならば、自分の月給に対して満足できなく、不公平感に挟まれるだろう。
上には上がいる社会において、あなたがどんなに成功しても妬みから逃れることはできません。

妬みから解放されたければ、他社との比較をやめなさいとラッセルは唱えています。
また、「不必要な謙遜もやめよ」とも言っています。
謙遜は一般的に美徳とされているが、謙遜のしすぎは人より自分が下と認めてしまい、悪になってしまうのです。
そこから逃れるために、自己を超越し、宇宙の自由の獲得をしなければなりません。
自己超越というのは、「自分」という内ばかりに目を向けず、「自分」の外の世界を見つめよという意味です。自分の思考を外に向けるという事は自己没頭と全く逆の意味を指します。

宇宙の自由の獲得というのは、宇宙の広さを想像し、物事を客観的に眺めよといった意味です。
SNSを見て、どっちが充実しているかを比較して一喜一憂すること。そうやって、ちまちま他人と比較することは、その人の心を貧しくしてしまいます。
なので、宇宙の広さを想像し、客観的に見る事が出来れば、自分の悩みなど豆粒に感じることができ、
いかに小さいことだときづくことができるはずです。

世評にビビる

世評にビビると成長もしないし、幸福になることもできないです。
周囲の評価や雑音を気にする事は、自身を抑圧し、自身の成長を妨げるのです。
この恐れがある限り、いかなる偉業も成し遂げる事が出来ない。

現在働いている環境で気心を許せる仲間がいない場合、環境を変えるべきだとも唱えています。
収入が減少しようが、関係ありません。私達は、衝動のみが次の道を切り開くものなのです。

幸福をもたらすもの

以上が不幸になる原因となりますが、本題の幸福になるためにどうすればいいかに進めさせていただきます。
この記事では、幸福をもたらすものとして、仕事、私心のない興味、努力とあきらめの3点から
記載致します。

仕事

仕事というのは、たまらなく嫌なものもあるし、多すぎるのもしんどいものです。
その反対になにもするものがない場合は、それ以上につらいものでもあります。
つまり、何か仕事があるというのは、退屈の予防策ともいえるのです。
しかし、仕事が楽しい場合は、退屈しのぎとは違った大きな満足が得られます。
では、仕事が面白くなる要素とは何があるのだろうか?

それは大きく2つあると唱えています。
1つ目が技術を駆使することです。
必要とされる仕事が変化に飛び、無限にレベルアップすることが
期待でき、熟練を要する技術が求められる。そのような仕事の事を言います。技術に限界があって、
もうここまでだと感じたら、その仕事は面白くなくなるので、永続的なスキルを求められる仕事を見つけましょう。

2つ目が建設性のある仕事です。
建設性というのは、最初の状態はでたらめだったものが、最終的には1つものに具体化されることです。
最も満足される目的というのが、1つの成功から次の成功へと無限に続き、息詰まる事がないのです。
終わりがないからこそ、成長が止まる事もなく、満足感を得られるポイントが何個もあるはずです。

私心の無い興味

私心のない興味は、人生の気晴らしにもなるし、バランス感覚を保つのにも役に立ちます。
自分の職業、自分の仕事、自分の仲間内、そんなものは人間活動のほんの一部にしかすぎないのです。
さらに視野を広げ、広く興味を持ち、人生のバランスを保つべきなのです。
私心の無い興味は、悲しみを癒す効果もあると言われています。悲しみというのを、ただ運命だから受け入れるのではなく、避ける事や悲しみを小さくすることに最大限の力を注ぐべきです。
だから、どんなにつまらないことでも自分の思考を新しいチャンネルにチェンジする必要がありますし、気晴らしになる可能性すらあります。ほんとの不幸が訪れたときに、あなたが耐えられるように心に余裕があるうちに興味の幅を広げるのです。

努力とあきらめ

中庸はつまらいが、真実の教義であるのです。
幸福は、自分で努力をして掴むものなのです。ただ、「諦め」も幸福の獲得において、大切な役割を果たします。
諦めるには、2種類あります。
・「絶望」に根差す諦め
・「不屈の希望」に根差す諦め
結論、前者の諦めはだめな諦めです。例え失敗しようが、うまくいかなかろうが、敗北しようが、その挑戦は無駄なものでないのです。もしかしたら、その挑戦は誰かの希望になったり、人類の希望になっているかもしれない思う事が大切です。
まとめると、人事を尽くして天命を待つの思考で挑戦をすることが、自分の未来を輝かせます。

まとめ

ラッセルの幸福論について、いかがでしたでしょうか。
自身の興味を持ったことに挑戦をする、他人軸でいきずに自分の成長にフォーカスをして
生きていくことが大切ですね。そして、私心のない興味については、私もできていなかったので、
友人に誘われた遊びについては、積極的に参加してみようと思います。


本記事は、下記の動画を参考にして書いたので
是非見てみてください!


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